助っ人サウスポーの法則

エリック・ヒルマン

ダン・セラフィニ

ビル・マーフィー

これらの選手は、ロッテを代表する助っ人サウスポーである。

しかし共通点はそれだけでは無い。

1995年 2位

2005年 優勝 日本一 アジア1

2010年 下剋上日本一 アジア1

この躍進に貢献した先発サウスポーだ。

まるで2階から投げていると称されたその姿は、

2mを超す長身の軟投派であった、ヒルマン。

ヒルマンは「肩に小錦がのっている」という

歴史的迷言を吐き日本を去ったが、

ロッテにいた時代はかなり優良助っ人であった。

伊良部、小宮山、ヒルマンの3本柱で、

当時優勝目前であったオリックスを3タテしたのは、

ロッテファンの誰しもが忘れかけていた強い野球チームを

応援するという事を思い出させてくれる瞬間であった。

選手名鑑には個々の選手の経歴が載っているが、

この選手に関しては載り切らないほど渡り歩いてきた、

傭兵のような存在感があった。サーフことセラフィニ。

足を高く上げて、上からも横からも投げる変幻自在なフォームに、

打者に向かっていく向こうっ気の強さは

ズレータとのバトルにまで発展したほど。

故障しながらもプレイオフを投げぬいた根性は、

ドライな助っ人外国人を超越した熱さをファンに示してくれた。

その名前から「マーフィーの法則」とその活躍を称された、

マーフィー。

アバウトなコントロールながらも何故か抑えてしまうという、

何とも不思議なサウスポーであった。

「この3人がチームの活躍に影響を及ぼした」

これは決して偶然のことでは無い。

それは・・

デニス、クロフォード、ハートグレイブス、ノット、

ロバーツ、クベンカ、レデズマ

これら死屍累々の助っ人サウスポー達をやり過ごして、

ようやく得た先発サウスポーであったが為、

チーム力の強化に大きく役立った。

当時は、ディーン・ハートグレイブスと言う名前を聞いて、

どんなスマートでしなやかな投手がくるかと期待したら、

ゴチゴチの選手で絶望したり、クベンカという今や

名前も姿も思い出せない選手を獲得したり、

大きな迷走を経て、ようやくセラフィニを当てられたのだ。

それは成瀬が登場してから、助っ人サウスポー達の獲得、迷走は

すっかり止んだが、現在またしても先発サウスポー不足に悩まされている。

昨年はチェンが一瞬の輝きを見せ、「ゴールデンイヤーの再来」を

期待させてくれたが、それも長続きせず。

何はともあれ、助っ人サウスポーの活躍がチームに大きく

貢献するのは間違いの無い事だ。

補強が待たれる。