桜島ファイヤー 青野毅

完全に力負けで負け続けている千葉ロッテ

鍛えられたロッテファンは、こう負けがこんでくると

心をどこかに移しがちになっていく。

4月はちょっと心を移した方が良いようだ。

プロ野球選手は超一流と呼ばれる選手はほんの一握りで、

その選手寿命は様々なパターンがある。

ひとつは高卒で入ってじっくりと育成され花開くパターン、

もうひとつは大社卒で即戦力として華々しくデビューする

パターン。

もちろん他のパターンもあるが、

大きく分けるとこの2つになるか。

ことロッテというチームに関しては、後者のパターンが多く、

即戦力として新人年にキャリアハイをたたき出し、

そこから緩やかに下降していく選手を多く輩出した。

古くは「落合2世」と呼ばれた古川であったり、

近年では「春の妖精」荻野貴司、大学全日本のキャプテン伊志嶺が

それに当てはまりそうだ。

このパターンは花開く確率が高いが、賞味期限も短くなる。

一方の高卒育成パターンは、花開く確率は低いながらも

モノになれば長く活躍する選手が多い。

2000本安打を目指す福浦もそうであるし、堀幸一大塚明

サブローなど、長くロッテで愛される存在は

高卒からのたたき上げが多い。

私はこれらのパターンに当てはまらない、

1年だけパッと活躍して消えていく、花火のような選手が

たまらなく好きだ。

そんな選手として思い出されるのが青野毅だ。

2000年のドラフト5位で入団。

その顔は未だ幼く、どこか少年のような佇まいを見せていた。

今もそうだが、当時はこれ以上ないほどの選手層の薄さで、

上位指名を即戦力、下位指名を高卒という方法で新人を獲得。

只、高卒新人といえども下位指名の選手達。

なかなか台頭してくる高卒選手は現れず、

その目論見は淡くも消え入っていた。

しかし青野はファームで着々と力をつけていき、

低打率ながらもしっかりと本塁打を放てるパンチ力を磨き上げ、

2006年に1軍で満塁ホームランという鮮烈なデビューを果たす。

身長もそれほど大きくなく、今で言う田村のような体型であったが、

天性のリストの強さで、右へ左へと広いマリンのスタンドへ

打球を突き刺した。

ホームラン後のパフォーマンスも自分で考えたらしく、

当時「チョップチョップパナマ運河」という持ちネタに

「幕張ファイア」と加えた助っ人のズレータを真似して、

「ワイやオレや桜島ファイア」とホームラン後に披露。

新しいスターの誕生にファンはさらに湧いた。

青野は2006年の中盤頃から台頭し、2007年の前半まで輝いた。

この間1年間。

自分の選手生命を天秤にかけ、能力値をフルにさせる

「悪魔の取引」を行ったかのように、その後の青野は

リハビリの野球人生となる。

ボビー末期の頃、まさにランビンバーナムJr.の頃、

「青野がいれば」と何度思った事か。

徐々にその期待も薄れていき、2013年に戦力外となる。

1年間という一瞬の輝きであったが、心に残る活躍を見せた青野。

こういう選手の派手さがたまらなく好きだ。

現在の清田と細谷がその系統な気がして青野を思い出した。

人生模様を映し出すプロ野球選手達。

活躍は様々で、ファンの心に刻み込まれる選手は数少ないだろう。

その中で、一瞬の鮮烈な印象を残していった選手は、

今思い起こしても清々しいひとすじの風のように感じられる。