思い出される先発左腕 今野隆裕
ドラフト3位で秋田商業からロッテに入団した成田投手が現在人気だ。
動画再生回数が伸び、どこかのニュースではテレビの視聴率を跳ね上げるような事が書いてあった。
是非とも成田投手には先発左腕として、大成してほしいと思っている。
ことロッテの先発左腕というのは、最近までエースであった成瀬は別として、
なかなか育っていかないという、嘆かわしい事実がある。
ここ最近では、3年前にプチブレークをした古谷や、新人王間違いなしと呼ばれていた藤岡、
数々の期待されては消えていった左腕の亡霊たちが、多く浦和球場に出るとかでないとか・・
左腕エースを遡った時に浮かぶのが、エリックヒルマンや「サーフ」ことセラフィニだったり、
マーフィーもいたなぁ、と外国人に頼りきりでもあった。
園川という偉大なるサウスポーがいたとも言えるが、エースといえるかはちょっと格が・・、
というのは冗談で、やはり古くはこの投手が左腕ローテの代表格である。
しかしそんな中、私自身ふと思い出すのが「今野隆裕」という投手である。
1990年代の初頭に表れ、91年にはイースタンでノーヒットノーラン。
その年後半から1軍で頭角を現し、5勝をあげ、防御率1点台という、
サウスポーエースの誕生に、思わず胸を躍らせた思い出がよみがえる。
当時、ロッテという球団は、テレビでの扱いはもちろん、新聞での扱いもほんのわずかで、
実際の投球の映像は1~2回くらいしか観たことが無いが、かなりキレのある球を投げていた事を覚えている。
またどこかの記事にて、当時中日ドラゴンズからトレードできていた牛島和彦を師事し、
その影響でブレークを果たしたという事が紹介されていた。
5勝を91年にあげ、翌年には先発ローテーションの一角を務め、さあこれから!という時に、
実績のある宇野と長嶋に対して、平井の台頭で当時出番が奪われつつあった横田に、この今野でつり合わせた
ようにも見える組み合わせで、僅か1年ちょいの活躍で待望のサウスポーエースは消えてしまった。
当時、子供心にショックで、ピンク色のユニフォームよりも、ガラガラの外野席よりも、
かなり絶望した記憶がある。
その幻のサウスポーエースは、中日で僅か16試合の登板で2勝に終わる。
イースタンでのノーヒッターから台頭してくる辺りは古谷を彷彿とさせるが、
先発左腕は2年目以降に真価がやはり問われるのであろう。
“そういう意味では”、成瀬という投手は異質なエースであった。
元気で暮らしているだろうか。